古本あれこれ
―神保町のカタキをホノルルで―
仲原善忠
(『琉球新報』1961年8月13-18日より一部抜粋)
「江戸のカタキを長崎で」ではなく「神保町(古本街)のカタキをホノルルで」という話である。
某年某月某日の午後丸ビルの財団事務所で新聞を読んでいると、宮良当壮君がひょっくりあらわれた。
二人で話しているところへ、珍しく金城朝永君が顔を出した。何の話をしたか忘れたが、とにかく「言語」
のことであった。と思う。ドアのあく音がしたのでふりかえると満艦飾の美人(?)が入って来た。
朝永君が立ちあがって「花子さん、しばらく。いま、神保町の古本屋に寄って来たが、沖縄関係の
本が三十冊ばかり出ていたよ」といった。
わたしは立ちあがり、朝永君をつかまえ「これこれの本はなかったか」ときいたら、「あったようです」
という。私はとっさの気転で「お茶を飲もう」と二人(宮良、金城)を誘って、地下の喫茶店に行き、
二人分のお茶とケーキを注文し「僕は急用が出来たので失礼する」と店を出た。東京駅で電車にのり
お茶の水で下車、明大前を通って、神保町についた。
神保町の交差点に立って、待つ間のもどかしさ、やっと青信号が出たので急いで向う側にわたり、九段坂の方向を見ると
雲突くばかりの大男が両脇に包みをかかえ大股にあるいて来るのが目についた。
「あッ、またやられた。フランク・ホーレーだ」僕は顔をそむけ、急ぎ足で、ホーレーさんとすれちがった。
本屋にとびこんで行って「これこれの本はないか」というと「たった今、外人さんがお買いになりました」という。
本棚を見ると未だ十数冊のこっているが、チャチな本ばかりで、買う気になれず、タクシーで財団に引きあげた。
帰って見ると、花子さんも二人のお姿も見えなかった。
朝永君が花子さん(ホーレー夫人)にさきにしゃべったこと、私がタクシーでとんで行かなかったことが失敗のもとである。
花子さんが、どういう方法でホーレーさんに連絡したか。われわれはこのようにたびたびホーレーさんにやられた。
われわれが「海賊」とよんでいたのは必ずしも悪意でよんでいたわけではないが、とにかくわれわれは連戦連敗で
たった一度だけ私が勝ったことがある。琉球館文書はその時の戦果である。
ところが、古本買いのベテランが精魂を打ちこんで、あつめた珍本をわれわれはいま心ゆくばかりむさぼりよむことが
毎日の日課になっている。神保町で取り逃がした仇をホノルルで取りおさえたというわけである。
(後略)