古本あさり
仲原善忠
(『育英会報』48号(1966年5月28日)より)
古本あさりは、僕の趣味だろうか、道楽だろうか、それとも生産資材の調達だろうか。
所得税申告のとき、原稿料収入の三割は必要経費として、税務署で控除を認めてくれる。
私のばあい、東京で出す本や雑誌類に書くと原稿料がはいる。 、や。のような、紙の上にインキを
ぽつんとやってもそれが稿料支払いの基礎になる。
それに反し、沖縄という市場では、小説以外は価格がないらしい。しかし、新聞をただで送ってくれれば、
その代り時々、原稿をかき、埋め合わせをしている。いわば、義理尽くしの贈答をしているようなものだ。
それで、別に不満というわけではない。つまり、私などは、正直なところ、古本代の三割も原稿料収入が
ないから、古本あさりは生産資材の購入にはならない、という理論である。文筆活動における私のバランス・
シートは慢性赤字ということになる。すると、どうしても、これは趣味か道楽の中に入れる外ない。
昨年秋、わたしはカゴシマに行った。天文館通りの古本屋の棚から成形図説(四冊本)を見付け出し、
わりとやすく買いとった。
いい気持になり、店員相手に島津版の古本の品定めやら、出廻りぐあいなど話しあっていると、奥の方から
出て来た主人が、「御同業でがんすか」といわれ、苦笑させられた。
「いや、そうでもないんですが、また古本も買います」などと、否定とも肯定ともとれそうな、あいまいな
返事をすると、「じつは、よんべ、博多から入ったとですが、質問本草がごわす。写本でごわすが、
図柄も色も、ちっともかわっとりませんぞ。なんならお目にかけますが。ネダンも格安で、ほんま、
ほり出しもんで、ごわすぞ。へえ」と、秩入りの五冊本をかかえて来た。わたしは、心の中で、
「落ち着け/\」と自分を叱り乍ら丹念に本、を点検した。いや、点検するふりをしながら、ふところ勘定を
やった。数年前、比嘉春潮さんが、本郷で見付け、南風原博士に買わせたのが、二万五千円とかきいた。
その後、拓殖大学は四万円で入手したとか。とにかく、なんぼ格安といっても一万円以下ではあるまい。
ところが私の財布の中には千円札二枚か三枚、それに、いくらかのバラ銭があるだけだ。延べ払いをたのめば、
きいてくれないこともなさそうだ。だが、東京からカゴシマくんだり廻って来た古本屋が、一万円ぽっちの
金に事欠くとあっては、問題だ。
どうしようか、と頭の中のキカイをぐるぐる廻転させているうちに、田中君を思い出した。しめた。
田中君に借りよう。もともと僕は、金銭非貸借を信条としているが、田中君とは年に一〜二度は東京で
逢っている。カゴシマで工場を経営している友人で電話番号もわかっている。生活信条の例外も時には
許してよいだろう。
主人の前で、借金のダンパンも気がひけるが、田中君はさいわい中国語の達人だ。僕も「南蛮俗語」程度の
中国語は覚えているかも知れない。よし、それで行こう。
電話をかける前に「おいくらです」というと、「へえ、五千円でよかとです」「五千円?」「へえ五千円は
いただかんと、もとが切れるとです」と不安そうな顔をする。「しめしめ」と私は肚の中でよろこんだ。
いよいよ中国語の電話だ。
あいさつをかんたんにすまし、「ちょっとねえ、ワオー、シヨー、チヨンコーファー、ミンパイ?」というと
笑い声と共に「ミンパイ、ミンパイ」とあざやかな北京官話だ。
「ワタシ、金必要アル、日本ノ一万円モッテキナサイ、ドウゾ、ドウゾ」「ワカリマシタ、スグイキマス。
道マデ出テ、オマチ下サイ」。田中君の車は五分もたたぬ内にやってきた。こんどは中国人とまちがえるかと
思ったが、案外主人も店員もケロリとしていた。五千円だけ拝借、質問本草は私の手に入った。
時間があるので、礎別邸拝観に行った。「いったい、どうしたんです」と田中君。今のいきさつを
かいつまんで話すと「私はまた、いきなち支那語らしいコトバが出たので、話はわからないが、とにかく
行って見ようと、とんで来たわけでした」という。
「僕の中国語はわからなかったのか」「どうもよくわかりませんでした」とのことでガッカリ。
とにかく、これは鯛をつりあげた自慢話だが、深刻な失敗談の方がかえって多いかもしれない。それでも、
自分の外、誰ももっていない本もいくつかあると思うと、中々やめられない道楽である。