山辺赤蟹(やまべのあかかに)

『大石兵六夢物語』に登場する、
吉野(現鹿児島県鹿児島市吉野町)の狐が化けた化け物の一つ。
『大石兵六夢物語』は、化け狐を退治しようとする若者・大石兵六が
様々な化け物に驚かされる話である。

化け物に驚かされて逃げ帰っていた大石兵六が関屋谷に来たところ、
夜も更け雲も嵐も静まり、物音に紛れない谷川の流れが激しく音を立てていた。
「なんと恐ろしいことだ」と岩木橋をどろどろと音を立てて通っていると、
橋の下から、いら棒かさすまたに毛が生えたような手が長く差し出され、
兵六の足をしっかりと挟みつけた。
思っても見なかったことなので兵六はあわてふためき逃げようとすると、
化け物は大声で
「やあやあ、お前、人の心も分からない荒くれ、吉野の花に乱暴するだけでなく、
紅葉踏み分け鳴く狐まで容赦なく捕らえようとする悪巧みに、天罰がくだらないことがあろうか。
そもそもこの橋は住吉・玉津島・明石の浦の聖人まで集めてかけた
「三箇(さんが)の橋」といって歌道の要所である。
この足は粉々になっても雷が落ちるまで放しはしない。
このようなことを言う私をお前は何者だと思っている。
百人一首の六番目の「山辺赤蟹」、おそれ多くも柿本人麻呂(和歌の名人)には負けない。
「あしびきの山鳥」という古い歌もあるので、こうして足を引いているのだ。
「おりたつ田子のみづから」という歌のように、切っても切れず、打っても砕けない。
もしも歯向かう者がいるならば、和歌の三神の罰を受けるに違いない。
冥土の土産に、この歌を聞いておけ。」と言い、次のように叫んだ。
  このやっこ行くも帰るも捕らまえて
   引くも引かぬもあしがらの関
  (注:蝉丸の「これやこのゆくも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」が元、
   「あしがら」は「足柄」と「あしから」の掛詞)
兵六これを聞くとすぐに、蝉丸ではないがホウショウツク(ツクツクホーシ)と溜息をつき、
一生の頼みにと大伴家持の歌を読み替えて、次のように返歌を詠んだ。
するとかねてからの嗜みの成果が表れ、非常に優しく聞こえた。
  かささぎの渡せる橋に住む蟹の
   赤きを見れば身ぞ冷えにける
  (注:「かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける」が元) と泣いて詠んだところ、山辺赤蟹は感嘆し、
「さて、優しく言葉を連ねているものだ。由緒ある谷川に渡せる橋で
このような状況におきながら、非常に優れている。
でかした、でかした。こうなったからには私は足を許そう。
(誓紙のため)熊野の牛王を持って来い。」
と、挟みをゆるめた。
本当に天地を動かし、目にも見えない鬼神の荒ぶる心を和らげるのも
すべては和歌の徳であるという紀貫之『古今和歌集』の序文も嘘ではない証拠である。

山辺赤蟹は百人一首にもその歌が収められている歌人「山部赤人」のパロディで、
台詞にも多数の和歌の文句が引用されている。
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