沖縄の長い小便

沖縄の長い小便
             金城朝永

(編注:『月間琉球』1巻3号(1937年7月)に掲載されたもの。)



 余りに話がウマく出来過ぎているので、作り噺ではないかと誰でも一度は疑って見たくなる ような咄である。その話というのは - 受験のために上京、早稲田の学生街に下宿している某君の 留守中に、矢張り中学を出たばかりの友人たちが訪ねてきたらしい。その取次に出た若いこれも きっと田舎出たての女中さんのお言伝なるものが仲々振っている。

 オーワニさん、トカゲさん、ヤモリさん

の三君が見えたと云うのだ。まるで判じ物めいた話で、沖縄の中学出の気の小さい某君はきっと 女中さんが何かカラカッテいるとでも思ったに違いない。しかし当の女中さんの真面目な顔の 何処にもその気色は読めなかったと云う。その種を明かされて始めて私なども沖縄の姓が、 こうも聞き誤られるものかと、思わず微笑の浮んでくるのを禁じ得ないものがあった。

 南洋産の大鰐は兎に角、真夏の太陽に、ギラギラと光る赤い腹をチラチラ見せながら、 チョロチョロと石垣の中に逃げこむ蜥蜴(トカゲ)、天井板に吸い着いたまゝの夜中にチョツチョツと 物悲しく鳴く守宮(ヤモリ)、郷土色豊かなこれらの小さい動物の姿と共に、下宿屋の玄関先に立ちはだかった 南国的な一種特徴のあるドス黒い顔や濃い眉毛、咄々と大和口を使う学生と女中さんとの 応対の場面(シーン)など髣髴と思い浮べたが、それにも増して、女中さんの直観的な、 しかも連想作用の明敏な活躍―鰐、蜥蜴、守宮の功名なる配列と連鎖に驚嘆し、賞讃し、 そして最後に爆笑したものである。

 このユーモラスな姓の持主達というのが、実は大湾、渡嘉敷、屋嘉部の三君であったと云う。 これは十日ばかり前に、その仲間の飛岡隆君から聞いた話であるが、その面白味は、県人同志で なくては笑を共にすることの出来ぬ、恰好の話題の一つであろう。話術の上手な石川正通兄に 提供したらそれこそ立派な一篇の落語に作り上げてくれるに違いないと思い、取って置きにしたかった。 次の話は其石川さんから先達拝聴したものである。

 東恩納寛淳先生と、もう一人どなたか矢張り大和の人には読みにくいお名前の方と二人して 清遊の旅に出られた時のことであったという。宿帖を持って来た女中さん、珍奇(?)な姓に これはきっとよくある偽名だと思ったらしく、甚だ恐縮で御座いますが、最近警察の方が お厳しう御座いますから、お手数ながら、御二方共御本名の方をお願いしますと、大真面目に 懇願したものである。この職務に忠実な女中さんの正当な抗議(?)に対して謹直な先生が、 どんな風に弁明されたかは聞き落してしまったが、さぞかし寛かに諄々と説き伏せられたことで あろうと推察する。東恩納先生と云えば、数年前「犯罪科学」の原稿の件で、今の「婦人画報」の 名編集長、当時の平記者鉄村大二郎君が、僕の所に訪ねて来た時、トウオンノウ先生の 紹介で参りましたとの挨拶の辞に接し、鳥渡面喰ったことがある。先生の姓はこちらの人には 仲々難しいと見えて、先年、南洋視察の東朝氏の紹介記事には東(あずま)文学士となっていた。 それだから、読み易い姓に改めねばならぬと云う論議を持ち出して来ると、話がやヽッこしくなるので 茲では避けるが、難解、難読な姓の為めに、県人の中には少からず不便を感じている人の 多いのは事実である。

 三字姓なるものは一部の人々の考えている様に、必ずしも薩摩の政策「大和(やまと)めきたる風」禁止の 結果のみではなく、その前から唐に倣い、自らも好んで用いていた証拠が段々あるが、それだけに、 本土の人には何となく支那、でなければ台湾か若しくは朝鮮臭く聞こえるのも無理からぬ訳である。 三字姓名は特にその感が深い。関東大震災の頃の新聞に、朝鮮人安里牛外何名焼死とある記事を読み、 蔭ながら同郷の者の死に哀悼の意を表したことがあった。早稲田大学には今でも朝鮮の学生が多い そうであるが、仲吉蒲と云う人が在学中、同輩は、半分カラカウ積りで半分は読み方が知らぬ為め、 チュウキツポウと呼んでいたと云う。アンゲンコウ(安元光)さんも、そう読めば成程半島同胞の 響きがある。

 沖縄の姓には、他郷の者に珍奇に見える割には、県人同志は、聞き馴れ見馴れているセイか一向 可笑しくもないものと大和人にはそれ程でもないらしいが、郷里の人々の間では反って滑稽に 聞えるものがある。こんな話がある。

 与儀と云える者、拙者はユーヂ(夜着)で御座ると挨拶しけるに、小渡(おど)なる人、拙者はウール(布団) で御座ると応(いら)えければ与儀なる者、ふざけからかい斯く云えるならんと、いたく怒りけりとぞ。 屋良朝陳(破れ提灯)さんや比嘉良篤(火が蝋燭)さんもきっと腕白時代には仲間にひやかされて お困りになったことゝお察しする。これなどは、こちらにもある永井正敏(長い小便)流のもので、 大和の方々にも解るが、話が尾籠で誠に恐縮ではあるが、又吉蒲(マテーシカマー)(糞喰らい)に至っては、それが どうして可笑しいかは、矢張り、県人同志でなくては話し合っても通じまい。

 こんな話を集めると相当あると思う。これらを蒐集して改姓論者の資料に提供するのも満更無益な 仕事ではなかろう。或はこんな無駄噺ばかり寄せ集めるには貴重な時間を浪費するから郷土研究の 徒輩はけしからんと日報社の月見重人さんあたりからお叱りを受けるかも知れぬ。「沖縄の人々が 今日努むべき事は外にあり」、「それは他府県と同じ生活様式と、生活内容を持ち来す事」で 「それさえ完全に実現すれば、問題は総て解決する」そうであるがこの意味からすれば、 「他府県と同じ」ような姓名に改めるのも亦生活改善の一助になりはせんか。「併し之はそう容易な業では」 なく、「郷土史研究の片手間などに出来ると思ったら間違いである」らしいので、又々 「余り考え過ぎて頓珍漢」なことでも申そうものなら、「頭の程度迄疑われたりする事に」もなるから、 この辺で御免蒙った方がよかろう。無い無い尽しで、その上に頭無しにでもされた日には、 それこそ吾が身の危急存亡にも関する一大事だから。

    (一九三七、六、二十)


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