ネブッチョウ(ねぶっちょう)

埼玉県秩父地方にかつて伝わっていた憑きもの筋。
お崎狐・ナマタコと並び秩父の三害とよばれる家筋の一つであった。
ネブッチョウは小蛇の類で、昔からその家につきまとい
息子や娘が他の家と縁組をした際はこの怪物もついていくので
次第にその類族が増えていく。
仇がある家があると、ネブッチョウはその家に移りその家のものを病気にし、
深い遺恨がある家は身上を衰えさせ取り殺すという。
そのため人々は縁組の際はよく家筋を聞き、
この家筋の者を非常にさげすみ三病の筋よりも忌み嫌ったという。

『遊歴雑記』によると著者の十方庵敬順は、
文化13年5月にこの地方を逍遥していた際に人の住んでいない家を数十軒見つけた。
普通の農家ではなさそうな家だったが、屋敷には大きな木が生い茂り、
屋根は壊れ軒は崩れ、床下から小さな竹が貫き、
屋敷一面に草が背丈ほどまで生え、垣は破れ長屋門は崩れていた。
また、これらの家は村里と何軒ぶんも離れていた。
敬順は休んだ家で尋ねたところ、
これらはネブッチョウの家筋で、死んだものがいたり、
またはお崎狐が代々離れず身上が次第に窮迫したため
他国へ行き奉公したものなどもいて、
屋敷や少しの田畑が売り残されているが、
必ず祟りがあって病気になり伝死病(結核)となるので
屋敷にも手を付けられず地面に踏み込む人もいないという。

また、長野県小県郡ではネブッチョウは
ナマとよばれる古くから続く家筋の三階級のうちの一階級で、
このうち最上級がナマ柄の総長であり和尚のような役割をもつ「阿弥陀」、
一番下が寺がなかった時代に埋葬を生業としていた「生団子」、
その中間がナマの長であるネブッチョウであるという。
これらの家筋はやはり縁組を嫌われている。
ナマの家の中には人々が崇めた仏像が立派な堂に祀られており、
どんな宗旨の人も老若男女問わず正月七日にはお参りをするが、
その意味は忘れられているようである。
倉光清六はここから、生団子は南無阿弥陀講のことで、
ネブッチョウは念仏長であり畢竟一向宗の門徒に対する噂が
変化したものではないかとしている。
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