あさましきもの
東恩納寛淳
(『共悦』29号(1957年11月1日)より)
いずれは、上役とか、世に時めく人々のであろうが、念入りに造られた墓場には、
きまって入口に名刺受けの石柱が立っている。そのおかげを蒙る人々が、確かにお詣りした証拠を残すために、
名刺を入れておくのかと思うと、あさましくもあわれである。わが世の春をほこる人のセガレが死んだ時に、
会葬者は整理も付きかねるほどであったが、当人が死んだ時には、それほどでもなかったと云う実話もある。
人を見送りに行って、列車の窓に重なるような人をかきわけて行って顔を見せるのもさもしい事である。
人のかげで、かげながら祈るほどの奥床しさが、人にはあってほしきものである。
会葬に出た時、葬場の入り口に、多勢の部下らしき人々が、机をならべて受付の事務を取っている。
名刺を受取る人、香典の封をその場で開いて記帳する人、それぞれの事務が手際よく運ばれて行く、
告別の焼香を済ませてのかえりぎわに、御礼の刷物を手渡された時位い、腹立たしいものはない。
引きさいてドブにほうり込んでしまう。来るのではなかったと思う。何をしてもその事に対する
手応えが感じられなければ、やりがいがないと思うのではあさましいことであり、又恩でも義でも、
その場で決済してしまわねば、利子が這うように思う商魂もあさましいものである。
恩も義理もそのまま抱きしめてこそ、吾等の共悦の生活を円滑にすべらせる香油となるであろうに。
日ごろ平民主義と云うものを売物にしている西国の有名な旧大名が、多勢の家来どもを召しつれてあそびに出かけ、
今日こそは、まちがっても、お殿様だの御前様だのと云いっこなし、若し口をすべらせたものはいくらの罰金だと
申合わせて出かけ、幸か不幸か一人の反則者もなく、平民に成りすませて通った時には、御帰館後の殿様のご機嫌、
ひどく斜であったと、これは家来の一人から直接聞いた話である。「某君と私」など云う表題の回想談をよく
見かけるが、大方は某君を引合いに出して私を語っている。近頃なくなったので助かったが、ひところ朝の放送に、
知名の老夫婦の対談を聞かされたことがあった。老人夫妻が、マイクの前にいずまいを直して、よそ行きの話を交わしている
光景を想像すると失笑を禁じ得なかった。
漫才と云うものが、芸の部に入るかどうかは知らないが、知性の乏しそうな二人が出て、愚にもつかぬ駄洒落のかけあいをしている、
こんなものと同時代に生れたことを恥辱に思う。喜劇俳優と云うもの、あたら男の一生をと、あさましく思うこと多し。
落語家が、おのれの顔をあげつらって、笑を買うものは堕落である。見るもの聞くもの底の見えすいた事ばかりの世の中に、
真の笑と真の涙とに接し得ないものであろうか。