以 津真天(いつまで)

『太平記』に出てくる怪物。

建武元年(1205年)、疫病が流行って多くの人が死んだこの年、
秋ごろから御所の紫宸殿の上に「いつまで、いつまで」と鳴く鳥が現れた。
その声は雲に響き、人々は眠りから覚め、忌み恐れないものはなかった。
すぐに諸卿は話し合いをし、源氏の誰かに弓矢で射落とさせようとした。
しかし外したら一生の恥だと思ったのか、誰も名乗り出ず、
結局、二条関白左大臣・藤原道平の召しかかえている
隠岐次郎左衛門広有(おきのじろうざえもんひろあり)が選ばれた。

そして八月十七日、晴れた月空の日、突然黒雲がかかって
怪鳥は鳴くと同時に火焔をはき、またカミナリが光り、御簾の中まで照らされた。
多くの人がかたずをのんで見守る中、
弓を引いていた広有は思うところがあったようで鏑矢の先端から矢じりを抜き、
再び弓を引いた。

怪鳥が降下し上空二十丈あたりから鳴き声が聞こえるようになった時、
広有は矢を放ち、手ごたえがあったかと思うと岩が落ちるような大きな音が響き、
怪鳥は仁寿殿の軒の上から折れ曲がって竹台の前へ落ちてきた。
人々の賞賛の声は半時ほど止まなかった
衛士にたいまつを掲げさせて見たところ、
頭は人間の様で、体は蛇の形、くちばしは曲がって歯はのこぎりのよう、
両足の爪は剣のようになっており、
羽を伸ばすと一丈六尺あった。

「それにしても、どうして矢じりを抜いたのか」と尋ねられると、
広有は「もし誤って御殿に矢が立つと不吉なので」と答えたので、
天皇はまた感心して広有は五位の位と因幡の国の大きな荘園二つを授かったとという。


餓死した者の死体をほおっておくとこの妖怪になり「いつまでほおっておくのか」
という意味で鳴くと言われる事があるが、
これは後世の創作のようである。
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